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二宮尊徳(金次郎)の話

こんにちは。
大松矯正歯科クリニックの高 大松(”Dr コウ”)です。
皆さん、お元気ですか?
昨日は勉強会に出席するために東京八重洲に行ってきました。
東京駅八重洲口を出て大通りを渡ると八重洲ブックセンターがあります。

日本でも有数の大型書店です。
お客様にサラリーマンの方々が多くビジネスマンの知識の集積所として、この書店の売れ行きランキングが話題になります。
何を隠そう、初めてこの八重洲ブックセンターに行ってみました。
正面玄関前に二宮金次郎の銅像が・・・

金色に輝くオーラを放っています。
小さい頃に良く目にした二宮金次郎の銅像でしたが
最近はあまりお目にかかりません。
なぜか八重洲ブックセンターの本よりも二宮金次郎の銅像に心が行ってしまいました。
ところで二宮金次郎は何をした人でしたっけ?
薪を担いで本を読んでいる姿はわかるけど・・・
そうです・・・
二宮金次郎(1787年〜1856年)は、小田原市栢山に生れ、向学、勤勉、貯蓄のモデルのような一生を送った地域づくり、財政再建の専門家で、報徳運動の元祖です。
生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時になくなりました。
そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。
「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです。
金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。
お百姓に学問はいらないというのです。
それから始まったのが、槙を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かりました。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興しました。
それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。
童門冬二 「二宮金次郎」より
この100年に一度の不況の時代に大変有益な生き方を示してくれた二宮金次郎。
現代にも十分通じるビジネスモデルだと思います。
あなたの思いを実現します。     大松矯正歯科クリニック

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