院長紹介

院長の履歴書(僕はこんな人間です!)

矯正治療をする前に患者さまがどんな状態かを確認するのは医師として当たり前のことです。
あなたの矯正治療をする人がどんな人間なのか、それを知ることも大変重要なことだと思います。
患者さまと医師がお互いに良好なコミュニケーションがとれて初めて治療が上手く行きます。
そこで、自己紹介をかねて、院長の履歴書(どんな人間か?)と治療のこだわりの歴史を書きました。是非、お読み下さい。

幼少時代

幼少時代

東京の上野で四人兄弟の三番目として生を受けました。
生まれたときは3200gの普通な赤ちゃんでしたが、幼稚園の時から大食いで小学校卒業までは学校で一番大きな健康優良児(ただの肥満児ですが)でした。

性格は温厚でしたが、神経質なところも多々ありました。
家族旅行でどこかに行く前日からいつも下痢になり、旅行先でケロッと治ってしまい周りに心配を掛けていました。

幼稚園に入る前から周囲には僕のことを『先生』と呼ぶように言っていたみたいです。『先生』と言っても、学校の『先生』ではなく『お医者さん』だったみたいです。小さいときの写真には白衣みたいなものを着て写した写真が沢山あります。(ちなみに うちの両親はお医者さんではありません。)
湯島の天神下に大塚医院というかかり付けの小児・内科があり、多分そこの若先生にあこがれていたんだと思います。(確か若先生は慶応出身だったと思います。背が高くてカッコ良かった記憶があります) だから、小さい頃から医者になりたかったんでしょうね。
今にして思えばその時の夢が叶ったというところでしょうか。

小学校4年生の時に今のクリニックの隣町の駒込に越してきました。
小・中学校の時代は勉強そっちのけで遊んでばかりいました。その頃はまだ大きな空き地が幾つかあり草野球やアメフトそしてゴルフの真似事なんかもしていました。
大松矯正歯科クリニックのある巣鴨には、おばあちゃんの原宿と呼ばれている「とげ抜き地蔵商店街」があります。その商店街の「八つ目うなぎ屋」の卓(たかし)や「だんご屋」の市ちゃん(いっちゃん)そして今は無いけど「本屋」の稔(みのる)達とつるんで遊んでばかりいました。・・・もう30年前のお話です・・・

大学時代

大学生の時は今考えても良く遊び、良く勉強したなぁ~と自分でも思います。
医学に関する勉強はすごく楽しかったし、好きでした。それは今でも変わりません。
勉強以外にもゴルフ部やユースホステリング部(ユースホステルに宿泊しながら旅行をします)で活動していました。

院内の書籍 歯科大学は6年制です。さらに僕は大学院にも進学しました。大学院はそれから4年です。普通の人よりも長めに学生生活を送りました。
大学6年生になると将来の進路を決めるべくみんな色々と思案しますが、僕は何故か将来は矯正医になろうと早い段階から決めていました。多分、矯正の授業を聞いたりしていて、他科と違ってダイナミックな治療が出来ると思ったからです。
それはお口の中の治療に留まらず、お顔全体を扱う学問だったので矯正に惹かれたと思います。今でもその選択は間違っていなかったと思います。
(今も矯正治療をやっていて楽しいですから・・・)

医局員時代(修行時代)

大学卒業後、母校の矯正歯科学講座の医局にお世話になりました。
矯正歯科は大学の授業としてありますが、実際にその授業を受けただけでは治療ができません。(治療内容が多岐にわたるので)
ですから卒業後、大学の医局に残って矯正治療を習得するしか方法がありませんでした。
その頃の医局は今と違って、完全な徒弟制です。よく言えばヨーロッパの「ギルド」でしょうか。先輩の先生方の治療方法を盗み見ながら技術を習得していきました。始めの1年間は患者さんの治療はやらせてもらえず、座学と模型での実習だけです。2年目になってやっと患者さんを診ることができます。(新患配当)
僕の場合、大学院にも行っていたので、矯正治療のカリキュラムと研究そして学位論文の作製で毎日家に帰るのは12時過ぎで泊まり込みの時もよくありました。
お蔭様で良き諸先輩方と同僚に恵まれて、たくさんの知識を吸収できましたし、お酒もいっぱい飲みました。今考えてもこの修行時代はすごく充実していて楽しかったです。
初めてアメリカのセントルイスでのアメリカ矯正歯科医会(AAO)で発表したのもこの頃です(1991年)。今では学会での発表よりもセントルイスのブッシュスタジアムで見たメジャーリーグ(セントルイス・カージナルス 対 アトランタ・ブレーブス戦)の方が記憶に残っているのは何故でしょう?

当時、大学での診療はエッジワイズ法という治療法の中のツイード法と言う方法で治療をしていました。
その当時はその治療法が一般的でしたが、強い矯正力で行うため患者さんも痛くて悲鳴を上げていました。そして生体への負担も大きく歯根吸収や歯肉の退縮が懸念されました。
大松矯正歯科クリニック開設 新米のドクターが始めて配当された患者さんに行うには少し酷な治療法です。文献通りやっても力の強弱が判らないので、かなり無理な治療をしていたと今では後悔しています。(その時の患者さん・ゴメンナサイ)その経験を今に生かして皆さんにフィードバックさせて頂いております。
その当時から自分的にはもっと弱い力で歯が動かないものかと思案していました。 しかし、初めての患者さんに装置を装着し、ワイヤーをセットして次の来院時に歯が移動しているのを見た時は本当に感動ものでした。

その感動を数年前にまた味わいました・・・デイモンシステムで・・・

大松矯正歯科クリニック開設

1993年にここ巣鴨で矯正歯科専門クリニックを開設しました。
開設当初は患者様も今ほどいませんでしたので、大学病院での診療も平行して行っていました。
今でも非常勤講師として、クリニックの休診日(木曜日)には母校の矯正科に行って学生実習のインストラクターをしたり、後輩の診療相談にも乗っています。

デイモンシステムとの出会い

クリニックを開設してから10年位、大学で習得した技術を中心に色々な講習会にも参加して技術の向上を図ってきました。
しかし、内容的には100年前にアメリカのDrアングルが考案したエッジワイズ法を踏襲している物でそれを少しだけ改良した物に過ぎません。

『患者さんにとってもっと良い治療法が無いか?』『何か自分の感性にフィットしないな』『もっと弱い力で、もっと自然な力で歯が動かないものなのか?』と自分の中で模索していました。

そのような時にDrデイモンのコースを初めて受講して自分が求めている物がここにあると確信しました。
講習会に出席していて鳥肌が立ったのは初めての経験です。

デイモンシステム コースを受けながら何か得も知れぬ感動が沸いてきました。
これが自分の探していた『何かだと』とそのとき気付きました。

その後すぐにクリニックのシステム(治療法)をすべて切り替えました。
システムを切り替えることはすごく勇気の要ることです。
今までの治療法をある所では否定しなくてはなりません。それは今までの自分自身をも否定することになります。また、人間にとって『変化』は恐怖を伴いますので、人は『変化』を忌み嫌います。
しかし、自分の直感を信じて、自分の経験に裏付けされたその感性を信じることが必要だとその時思いました。

デイモンシステムを採用して、治療してみると自分の感性が間違っていない事にすぐ気付きます。 『何でこんなに歯が動くんだろう』、『早く歯が動き過ぎるんじゃないか』、『今までの矯正治療は一体なんだったの?』
患者さんよりも僕の方が驚嘆していました。

そうです、ローフォース、ローフリクションを採用したこのデイモンシステムは今までの矯正治療とはぜんぜん違う概念の歯の移動様相を示したのです。
最近ではこのデイモンシステムでの歯の早い動きにも慣れてきましたが、初めの頃は調整が終わって次のご予約の日が楽しみでワクワクするほどでした。

チャレンジ

デイモンシステムはアメリカで開発された矯正治療法です。
そのため、日本の他の先生方は、アメリカ人には合っても、東洋人である日本人には適合しないのではないかと言われます。
しかし、ここ数年自分で多くのデイモンシステムでの症例を手がけてみて、アメリカ人(この場合対象は白人:コカーソイド)よりも日本人(東洋人)の方に適していると思えるようになりました。

その理由は側方拡大にあります。
デイモンシステムが他のローフォース、ローフリクションブラッケットと決定的に違うのは、非抜歯治療の際に歯列の側方への拡大によってスペースを獲得して行くことです。

アメリカ人の頭の形は長頭型です。日本人は短頭型です。頭の横幅は日本人の方が広いのです。ですから、歯列の側方拡大を行って不正咬合を改善するためのスペースを得ようとするのならば、頭の横幅が広い日本人の方が有利になります。

また、デイモンシステムをそのまま日本人に適用するよりも、日本人に合った形にモディファイした方が良いことが判ってきました。

大松矯正歯科クリニック院長高 大松

ワイヤーを入れる順番とかサイズとかを変えて、日本人に合う治療法に日夜改良を進めています。 デイモンシステムを利用して、もっと日本人に合った日本人のための治療法を見つけたいと思っています。 『この治し方で自分の歯も治したいか』、『自分の子供にもこの治し方でやってあげたいか』と自問しながら『もっと患者さんにとって良い治療法がないか』と日々考えています。

それが今の僕です。

院長プロフィール

略歴

院長プロフィール

1963年 2月 東京都生まれ

1988年 3月 城西歯科大学歯学部卒業

1988年 4月 明海大学歯学部歯科矯正学講座入局

1989年 4月 明海大学大学院歯学研究科歯科矯正学専攻入学

1993年 3月 明海大学大学院歯学研究科歯科矯正学専攻修了

1993年 4月 明海大学歯学部歯科矯正科勤務

1993年 12月 大松矯正歯科クリニック開設

1994年 4月 明海大学歯科矯正学講座非常勤講師兼任

2001年 4月 社団法人東京都豊島区歯科医師会理事

資格

1988年 6月 第81回歯科医師国家試験合格

1993年 3月 博士(歯学)学位受領

1993年 9月 日本矯正歯科学会認定医取得

2005年 6月 日本成人矯正歯科学会認定医取得

2006年12月 日本成人矯正歯科学会矯正歯科専門医取得

所属学会

書籍掲載